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Aurex Jazz Festival 珍道中(1982年)


夜の京王プラザホテル

Jaco Pastorius Big
Band Live
In Japan

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Live in Japan 1982
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1982年8月28日午後7時すぎ、成田空港に着いたジャコはもう完璧にアルコール漬けの状態。自分のグループでは初めての来日公演ということなどから、日本のファンに対する彼の責任感は相当の高まりにあったという。当日の宿舎であった京王プラザホテルでのこと、午前2時ごろ、メンバー全員に、「それぞれの楽譜を持って、ホテル・ロビーに集合せよ!」との発令。スタッフの説得により落ちつく。来日早々やってくれます。

フロリダ原住民の正装(?)を身にまとったジャコ ジャコの祖先は…

オーレックス主催の歓迎レセプション会場へ現われたジャコの格好が左の写真。「これはオレの遠い祖先であるフロリダ原住民の正装なのだ」とはジャコ本人の弁。この衣装は後に広島会場での「ベース池ポチャ」事件で役に立つことになる。

福岡で行方不明

福岡に向かう途中の飛行機の中が大変。搭乗前(実際は朝からという話もある)から飲んだ酒のせいか、大声を出すわ、通路を走り回るわで大騒ぎ。空港に到着するやいなや行方不明。全員で探すが行方知れず。他のホテルからの連絡で所在確認。ジャコは、空港近くのホテルをその日の宿舎と勘違いしたらしく、一目散にそこへ駆け込んだらしい。

新幹線マジック黒塗り事件

福岡か広島のどちらかへ移動中、ジャコはべ一スを片手にひとリビュッフェにいる。突然ローディに「マジックを持ってきてくれ」。「何をするの?」「ベースにオレの名前を書きたいんだ」。すぐマジックが届けられる。最初はキチッと名前をtいていたが、そのうちボディを黒く塗り始め、それでもおさまらず、ビュッフェの窓にマジックで絵を描き始める。あわてたローディに押さえられる。

スキンヘッドのジャコ 日本で坊主頭になった

ジャコはサウンドチェックに時間通りに現れためしがない。この日もサウンドチェック前に行方知れず。どこへ行ってたのかを問いただすと、何とこれが「床屋さん」。床屋にどういう指示を与えたかわからないが写真の通りのショートヘア。ジャコの場合、言葉が理解できないからといった理由で外出を控えることはまずあり得ないという。これは世界中どこへ行ってもそうらしい。

パンツ一丁のサウンドチェック

広島にではホテルに着くやいなや、ジャコと同行してきた娘のメアリーが消える。広島に着いたら平和公園へ行くんだ、と話していたことを思い出した関係者は、平和公園こ向かうが見つからず。

サウンドチェックが始まったが、案の定ジャコは現われず。しばらくして娘だけ戻ってきて、そして開口一番「オヤジは狂っちゃった。ギターをレイク(湖)の中に捨てちゃったよ」と恐ろしい発言。

そうこうしているうちに、ジャコがホテルに現われる。何とパンツ一丁、赤と青のソックスを片方ずつ履いているが、もちろん(?)靴はない。時間がないのでそのままの格好でサウンドチェックのためステージ会場に。

だが、遅れたため裏側の入口は閉められており、しょうがなく正面の玄関口ヘ。もちろん正面口には開場を待つ人々がたくさんいるのだが、誰も気が付かなかったらしい。

ジャコ曰く「髪も短いし、こんな格好していたら、おそらく変なアーミーかどこかのクレイジー・ガイだと思うだろう」格好に似合わず冷静な判断。

いわゆるベース池ポチャ事件

前述の広島ステージの始まる直前のこと、ジャコがローディに「ギターを池の中に置いてきたから探してきてくれ!」と頼むので、10人程度の捜索隊を結成。平和公園の池、噴水、くまなく探すが見つからず。その日は諦めぎるを得なく、捜索打ち切り。

翌日、今度はジャコの先導のもと、再びベース探しに出かけるが、どうも平和公園とは方向が違う。何とたどり着いたのは広島城なのだ。ジャコに言わせれば“レイク”の正体は城のお堀のことだった。いざお堀の中を捜そうとすると「もうベースは引き上げてある」とジャコ。

ここで完璧に昨日のパンツー丁の姿とつじつまが合ってきた。すなわち、ジャコは、娘の言うごとく、一度ベースをお掘の中に投げ込み、それを引き上げるために石垣を上り下りし、実際にお堀の中に飛び込み、ベースを引き上げておいたようだ。

その時、石垣を上り下りするために、何とパーティの時着ていたあのインデイアン衣装(左の写真参照)をビリビリに破り、ロープ代わりにしていたという。お堀の中では当然スイスイ泳いだものと思われる。

日本のオーディオ・メーカーCMに出ていた(1982年)


目立つためなら…(1982年頃?)


………小川 ジャズで目立ちたがりというと、ジャコ・パストリアスかな。たいへんな曲芸を見たもんね。三年くらい前だけど、エブリーフィッシャーホールといった大会場に出られるアーティストになっていたジャコが、30人くらいしか入らない小さいジャズクラブに出ると聞いて行ってみたんだ。そしたらジャコ抜きのバンドがいるだけ。ハイラム・ブロックとかね。演奏が始まっても、ジャコが現れないので、ジャコ出るというのはデマだったのかなんて思ってたら、突如、疾風のようにベースを持って駆けて来て、でんぐり返ってステージに上がって、さっと立ったわけ。
明田川 ベース持ったまま?
小川 立ったとたんベースアンプにジャックを差し込んで弾き始めたんだよ(笑) それを後ろ向きで、一発で決めるからスゴイ!
明田川 体操の世界だね。
小川 みんな呆気にとられちゃってね。あの人酔ったふりして計算してんだね。きっと何回も練習したんだよ。
吉野 そういうふうに目立つって大事なことでしょう。
明田川 そうですね。………

日本ツアー用のサインを準備?…(1983年)


………オーレックスの翌年、Word of Mouthツアーでジャコが再来日したとき仙台公演を見に行き、その後タクシーでジャコをホテルまで追跡。ジャコはホテルの玄関前でファンがくるのを待っていました。背の高い彼がヌボーッと立っていたことが印象的です。早速私はパンフレットと、持参していたベースにサインしてもらいました。驚いたことにサイン入りベースサインは「ジャコ」とカタカナで書いてあります。彼は日本公演のためにカタカナを練習したのでしょう。それからジャコは私のベースをポロポロと弾きました。会っている間、伝記などで言われているような精神状態とはまったく感じず、紳士的で落ち着いていました。………

掲示板に書き込んでいただいた、にんにん様より

サイン入りベースサイン入りベース

上半身ハダカで来日(1984年)


………「成田空港までジャコを迎えに行った時だよ。なかなか出国ゲートに出てこないんだ。ようやく姿を現したと思ったら、それが何とフィラデルフィア・フィリーズの野球帽に上半身は裸。その上に裸足で荷物はベースの他には小さなスポーツ・バッグ一つだけなんだから。そのバッグからNYメッツのTシャツを取り出して、“お前はメジャーリーグのファンだったよな”ってお土産をくれたんだ。でも、その後のセリフがすごかったね。“ところで実は金を1ドルも持ってないんだ。とりあえずビールを一杯飲ませてくれないか”って。一体どうやってJFK空港まで来たのか不思議だったね」………

泥まみれのステージ in Japan(1984年)